新幹線の思い出

 今日で開業から50年を経過した東海道新幹線。この間列車事故により死者は0という誇らしい記録を打ち立て、スピードと安全面で世界トップクラスを誇る、まさしくジャパンプライドと言っていい存在になりました。さらに最高速度を285kmに引き上げるという事で、リニア新幹線開業までその重要なポジションは揺らぐことは無いでしょう。
 新幹線に関しての思い出といえば、やはり最初の乗車ですね。今でも鮮明に覚えています。私が動く新幹線に最初に乗車したのは、1970年の大阪万博への旅の往路でした。ちなみに大阪からの帰路は私の希望で寝台列車でした。多分急行銀河だったと思いますが、はっきりとは覚えていません。話を戻して、44年前のあの日、東京駅のホームから滑るように走り出した時の揺れのない滑らかな走り出しに感嘆し、室内の静寂性にも驚いたのでした。あの時「やはり標準軌の車両は安定しているのだなぁ」などと思ったように記憶していますが、あのグラグラ揺れる京浜急行も実は標準軌だったんですけどね。その後、就職して大阪に転勤になった際には、何度も関西との往復で利用していましたが、もう一つの思い出は100系の2階建ての食堂車から見た富士山ですね。丁度晴れ渡っていて、しかも2階席だったので線路脇の防音壁により視界がさえぎられることも少なく、綺麗な富士山の姿は今も瞼を閉じると蘇ります。今は新幹線だけでなく通常運行される特急列車にはもう食堂車は無いというのは残念です。
 Nゲージ各社もこの日に向けて多くの新幹線車両を準備していますが、この年になって模型でまで新幹線を買うつもりはありません。特に以前にも書きましたように、新幹線は縮尺が1/160でそれ以外の車両は1/150で、スケールが異なるものを混在させる気にはなれません。子供でも居ればまた違ったのでしょうけど。ただ、子供の頃はもちろん、新幹線を持っていました。今はもうNゲージは販売していませんが、当時、学研が0系新幹線を発売しており、購入しました。ただ、走りがあまり良くなく、モーター車の車内いっぱいに追加のウェイトを入れた記憶があります。
 今日、新幹線は日本全国に広がっています。願わくばこの死亡事故0という記録を永遠に続けて欲しいですし、新幹線の技術を世界に広めて他の国でも安心して列車に乗れるようにして欲しいものです(ただ、技術は素晴らしくてもそれを操るのは人間ですからね。愚かな人間の行為は技術でカバーしきれない事もあるでしょう)。